2018年2月13日火曜日

拾い読み日記 10

 2月13日。朝10時半ごろ出かける。午前中、外を歩くのはひさしぶりなので、光の感じが、なつかしいような、まぶしいような、おもしろいような、ふしぎな感じがした。夫と喫茶店でモーニング。話したり、本を読んだり、新聞を読んだり。ふだんとちがうことをしたせいか、旅先みたいで楽しかった。夫は『誰でもない』という韓国の小説を、自分は、文庫の『須賀敦子全集』7巻を持っていって、目についたところを読んだ。『どんぐりのたわごと』と日記が読めるこの巻を、買ってよかったと思う。銀座の交差点近くの、時が止まったような本屋で買った。10年以上前に入荷し、売れ残った本がそのまま置いてあるようだった。店にはほかに誰もいなくて、静かで、わりと広かったが、何か買わないと出られない、というよりは、気がすまない感じがしたことを覚えている。淋しい本屋だった。今朝気がついたが、背の黄色がだいぶ褪色している。

「詩人とは――それがほんものの詩人であった場合――一体なにものでしょうか。これは前にも、よそで申したことがあるのですが、詩人とは――ひとくちには申しにくいでしょうが――何よりもまず私は、いつのまにか成人した自分におきてくることどもに、ただもう目を瞠っておどろいている子供だといって差支ないとおもうのです。」(ウンベルト・サバ「詩人とはなにか」須賀敦子訳)

 今朝この本を読もうと決めたのは、開いたページにこの言葉があったからだった。
 家に帰ると、気がかりなことを思い出して、仕事にも集中できず、本もぜんぜん読めない。aと電話で話した。きっと明日には、気分も変わるだろうと思う。