2011年8月31日水曜日

ブックスモブロ






 あした鎌倉にオープン予定の本屋さん、ブックスモブロで、ananas press、ヒロイヨミ社の本、『yohaku to hibi to』も取り扱っていただきます。古本とZineと雑貨の店だそうで、活版印刷のものもいろいろあるみたいです。住所は鎌倉市大町1-1-12 WALK大町 2F-D、お店の様子など、くわしくはこちらをどうぞ。


 いよいよ今週土曜からの「机上の灯台」展、そろそろ「ヒロイヨミ」も完成しそう、ふうーやれやれ……というところで世にも恥ずかしい誤植を見つけ、社内に激震が走りました。もう悲しくてやりきれません。ショックのあまり免疫力がガタッと下がってしまったような気がするので、とりいそぎ笑いを……ということで中田ダイマル・ラケット師匠の傑作漫才CDを聞いて気持ちを立てなおし(「僕は迷優」をヘビロテ)、完成に向けてもうちょっと印刷したり、紙を折ったりする予定です。この焦り……、宿題がまだ終わってない子を近所に見つけ出して、励ましあいたいです。


 写真と本文は関係ありませんが、(自分が)癒されるかと。



追伸 近所に「おさわり自由」な猫を発見したとの由

2011年8月25日木曜日

「机上の灯台」展のお知らせ



                         写真=橋目侑季



 来月3日からはじまる「机上の灯台」展について、あらためてお知らせします。


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ひろがる視界の片隅に、ある日ひとすじ光が走る——

「水の手紙/空の余白」につづく、活版印刷+αの作品展。

豆本、タブロー、版画、短歌、冊子など、

それぞれのアプローチで〈灯台〉を目指します。


赤井都

阿部真弓

尾田美樹

山羊の木(橋目侑季・石川美南)/海岸印刷

山元伸子


201193日(土)〜911日(日)

12:0019:00(最終日〜18:00 月・火休


GALLERYみずのそら

東京都杉並区西荻北5-25-2 Tel/fax: 03-3390-7590

http://www.mizunosora.com



【関連イベント】


◎赤井都による豆本ワークショップ

手のひらサイズの、三角形のアコーディオン折り本を作ります。

《日時》94日(日)13時〜15時(受付1245分〜)

《参加費》5000円(2冊作れてかき氷つき)                   

  

◎「岬ノオト」

言葉(短歌、灯台にまつわる文章etc.)と音が紡ぎだす、岬の静かな時間。

《出演》言葉:石川美南(山羊の木)/音:津田貴司

《日時》910日(土)開演19時〜(受付1830分〜)

《入場料》1500


*いずれも、詳しくはみずのそらHPをご覧ください

*なるべく事前にご予約ください(当日参加も歓迎いたします)

 ご予約はみずのそらまで gallery@mizunosora.com


◎期間中、カフェにて大塩あゆ美によるおやつが楽しめます。

910日(土)、11日(日)はあゆみ食堂11時半オープン。(なくなり次第終了)

*詳しくはみずのそらHPをご覧ください


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 制作が大詰めにさしかかると本を拾い読みする気持ちの余裕もなくなってしまうので、手帳に書き留めた言葉を読みかえすことにします。


白の上に、沈黙と静止の上に、君の映画を築き上げよ。


ロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書——映画監督のノート』より(松浦寿輝訳・筑摩書房)


 家から歩いて20分くらいの場所にある、小さなカフェの小さな本棚にあった一冊。選びぬかれた、愛されているオーラをまとった本たち、その背表紙をつくづく眺め、今日はこれ、と選んだ本のなかにありました。あそこの本棚とロールケーキが、たまらなく好きです。本棚はいつもちょっとだけ変化しているようで、そこがまたわくわくするところですが、ロールケーキは変わらずに、いつでもおいしい、まるくてやわらかでやさしい味で、それは店内に流れる空気にも、店主夫妻の雰囲気にも通じていて……と、書いているうちにまた出かけていきたくなりましたが、そこはぐっとがまんして、白い紙の上に、金と銀の灯台を(プリントゴッコで)築くことにはげみたいと思います。



 「机上の灯台」展、赤井さんのワークショップ、石川さんと津田さんのライブ、あゆみ食堂など企画ももりだくさんです。ぜひ足をお運びいただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。



追伸 『サンパウロへのサウダージ』もあったよ

2011年8月17日水曜日

もうひとつのBook Fair





MOTOYAで今日から開催の「もうひとつのBook Fair」に参加しています。9/11まで、月・火お休みですのでご注意ください。どうぞよろしくお願いいたします! 以下はMOTOYAHPからです。


リトルプレス・小規模出版本を中心に、自由な発想で制作した本、自己表現としての本、好きなものを追求した本などを集めました。

あなたのお気に入りの一冊を見つけにいらして下さい。


Art-Phil アトリエ ノワイヨ アラタ・クールハンド 歩きながら考える編集部/いずみかわこうじ(旅人の木 編集室) 懐中雑誌ぱなし かくたみほ 季刊誌「日々」/saji /サルビア SunREOR SPORE たけのこスカーフ はなうた pieton 福本浩子/BOOKLUCK BOOKLORE BonAppetit mille books|ミルブックス /やまさき薫/大和ちさ 山元伸子(ヒロイヨミ社)


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夏は毎年山に行きます。今年はちょっといそがしいような気もするのでどうしよう?とも思いましたが、やっぱり、えいっとばかりに登ってきました。<山ガール>ではなくて、ごくたまーに山に登る女(もうすぐ40さい)なので、下山の翌日と翌々日は足の筋肉痛がひどくてうまく歩けません。壊れかけのRobotみたいな動きになります。カクカクカクカク……。立ち上がるときは「は、どっこいしょ」って、なんだかおばあさんぽいんです。


山から下りて泊まったへんな宿(動物の剥製はやたらあるが、お風呂場の蛇口とシャワーがすべて壊れている)の本棚で見つけて手にした本は、島と灯台が舞台の物語でした。なんてタイムリーな。しばらくは山に出かけず、そのあたりでいろいろとがんばります。



追伸 写真は加藤大道さん(1896-1965)、絵はがき部に入ってもらいたいですね…

2011年8月10日水曜日

本は崩れず





 草森紳一写真展「本は崩れず」、森岡書店にて開催中です。

蔵書の写真や本を読む人の写真、そのほかおびただしい数の写真が、テーマ別に箱に入っていて一枚一枚見ることができます。


 とりわけひきつけられたのは、鏡やガラスに映った自分を撮ったセルフ・ポートレイト。これが、かなりの数、あるのです。室内の鏡、街角のショーウィンドウ、道路のカーブミラー、喫茶店や洗面所の鏡などなど。これがもし他の人だったら、ナ、ナルシスト? と思ってしまいそうですが、草森さんの表情はそうした甘さとはまったく無縁で、あくまでクールな観察者の面持ち。さながら自分の幻影を捕獲するハンターのようでもあり……。ようするに、かっこいいのです。

 それにしてもなにゆえこんなに自分を撮ったのかしら……と気になりつつ手にした草森さんの本の目次には、「私は誰なの」という言葉が。


よく考えてみれば、自分とはなにものなのだ、どういう顔をしているのかも、よくはわかってはいないことは確かだ。それ故わかっていないのだから、自分の顔写真を見てもわからないのが、当然なのに、これが自分だとは、やはり思える。このわからなさとわかることとの幽冥感。


「私は誰なの ルイス・キャロル/その『中有』の刑」(『悪食病誌 底のない舟』昭文社出版部刊)


 こんな文章をお酒を飲みながら読んでいたら、酔いがまわりすぎてしまって、「不可解な気分の中に浮かぶ自分」をただ持てあましました。


 写真展では、『草森紳一が、いた。 友人と仕事仲間たちによる回想集』も販売しています。搬入のお手伝い中、草森さんの顔をじいーっと見つめていたら眼の中にその姿がくっきりと焼きついてしまって、家に帰って熱に浮かされたようにこの本を手にしました。草森さんの過剰摂取であたまに血が上り、眠れなくなった夜です。


翌日の矢崎さん南陀楼さん対談も、愛と笑いに満ちていてたいへん愉しい思いをしました。生前お目にかかれなかったのは残念ですが(ほとんど著書を読んだことがなかったし……)、物書く人との出会いに遅すぎるなんてことはないでしょう。

 ということで、こんにちは、草森さん。ようやくお会いできました。



追伸 かまくらブックフェスタに参加します! くわしくは、追って…

2011年8月6日土曜日

ヒロイヨミ制作中です





 ヒロイヨミ社、などと会社みたいな名前がついていますが、じつは、当方は会社ではありません。ヒロイヨミ者です。(だれも勘ちがいしませんか?)


 まるで一人遊びのように、著作権が切れたテキストを好き勝手に組んで冊子を作り始めたのは4年前のことです。われながら妙なことを始めてしまったなと感じつつ、ひたすらプリントゴッコのランプをピカッピカッと製版してはインクにまみれて印刷しつづける、楽しいけれどもつらく孤独な制作の日々でした。

 できあがってから、さてどうしよう、と途方にくれ、とりあえず好きな本屋さんに見本を送ってみたけれど、返事はなしのつぶて。つぶれゆくこころを支えてくれたのは、感想をくれた友人知人の言葉だったように思います。取り扱います、とはじめて本屋さん(百年)にいわれたときはうれしさで舞いあがってしまって、もう売れなくてもいいや……と思ったくらいです。あのときに一喜一憂しすぎて疲れてしまったので、いまではあまり評価とか売れ行きとかは気にせず、自分のペースで作りたい(見たい)ものだけ作っています。


 さて、そんな心もとないはじまりの冊子でしたが、いまは一人だけで作っているわけではありません。新しい「ヒロイヨミ」は「机上の灯台」展にあわせて灯台を特集するのですが、本文は活版刷りのため、活字屋さんと印刷屋さん(写真)のお世話になっています。ずいぶん開かれた気がします。出版社みたい。

 さらには、掲載許可をいただくために、ある詩人の息子さんにお手紙とバックナンバーをお送りしたら、どうぞ自由に舞台を設置してみて下さい、とのありがたいお返事をいただき、なんだか力がわいてきました。と同時に、心地よいプレッシャーも感じます。ただ、そうした圧力のようなものは、どんな作品を扱うときにも感じます。


あたかも印刷機が差し延べる鏡に映し出されでもしたかのようなかたちでそこに著者の精神が覗かれる。紙とインクが調和し、活字が鮮明で、構成に気が配られ、行揃いも完璧で、そして刷り上りも見事であるときは、自分の言葉と文章が著者にとってまるで新しいもののように思えだす。


ポール・ヴァレリー『書物雑感』より(生田耕作訳・奢灞都館刊)


 見るための版面と読むための版面は別のものだ、とはじまるこのエッセイを読むと、あらためて、人の言葉を扱う、ということが、おそろしいことのように思えてきます。

 しかし、著者にとっても、自分の書いたものが読みやすく、美しい活字になることはときにおそろしいことでもあるようです。弱々しいところや独りよがりな部分までも大きな透りすぎる声でしゃべりだしてしまう、それは「たいそう有益な、たいそう恐ろしい審判に身をさらすことである」。……ヴァレリーのことが急に好きになりました。


 そのテクストがどのように組まれるべきか、正解はないのかもしれませんが、書かれた言葉への信頼と畏れはいつでも持っていたい、と思いながら、きょうも、悩んだり迷ったりしています。



追伸 ふと窓をみると、蟬がよたよたと網戸の上を歩いていました もうすぐ立秋…