2010年7月22日木曜日

古い書物を読むということは





「古い書物を読むということは、それが書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなものである。」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス「書物」)


「旅の栞」展のために作った栞「Traces 痕跡」は、古書に残されていた、だれかのサインや書き込みを印刷して、栞にしたものです。本が、人から人にわたっていって読みつがれていく不思議、その本のみが知るひそやかな物語に、すこしでもふれられたなら、と思いながら、作っていました。

それから、ある時期にとても親しくつきあったのに、今はもう手もとにはない本たちの行方にも、思いをはせながら。かつて本棚の一角を橙色に染めていた、新潮文庫の三島由紀夫、あれらは今、いったい何処に? 暗くつらい時期に溺れるようにしてのめりこんだ反動からか、あるいは、卒業論文で苦しめられた(自分で選んだくせに)恨みからなのか、あるとき、もう三島由紀夫なんか読まない、と強い気持ちで、すべての三島本を古書店に売りはらってしまいました。でも、最近、本屋さんで金ピカのカバーがかかった『金閣寺』を見るにつけ、あの、白地に大きな題字と著者名のみの、見る者に緊張を強いるほどに潔く美しいカバーが、とても慕わしく思えてきます。あのオレンジの一群が、それぞれに、どこかの家のだれかの本棚で、しあわせに生きつづけていますように。

ボルヘスの引用は『ボルヘス、オラル』(木村榮一訳、書肆風の薔薇/水声社)より。一年以上まえから、すこしづつ、ゆっくりと読んでいる、今福龍太さんの『身体としての書物』(東京外国語大学出版会)で知りました。


今年5月の活版凸凹フェスタで「ヒロイヨミ」を買ってくださった大塩あゆ美さんが、Walker's Cafe(Cultural Typhoon 2010)のフード・コーディネートをされていたことから、管啓次郎さんに「ヒロイヨミ」のことを知ってもらえました。こんなふうに紹介してもらえて、ちょっとなんだかことばも出ません。管さん、大塩さん、どうもありがとうございます。と、こんど会えたら伝えたいです。



追伸 島の冊子はあのひとに見てもらいたかったけど、気おくれして見せられなかった。おろかなことでした